やっと来た!野火!
去年から映画祭での上映や試写は行われていたものの、劇場上映にはだいぶ待たされた。
ただ、待ったかいはあった!これは久しぶりに観た魂のこもった戦争映画!間違いなく最近の邦画の戦争映画の中では断トツ。
原作は大岡昇平の同名小説。1959年に市川崑監督によっても映画化されている。今回は塚本晋也監督による再映画化となる(リメイクではなく、同じ原作で映画化)。塚本監督と言えば、『桐島、部活やめるってよ』で神木隆之介演じる前田君が観ていた映画『鉄男』(1989)の監督。なんと、『鉄男』で塚本監督は監督、脚本、出演、撮影、美術、編集、特撮、照明、製作までこなしている。これは『鉄男』が自主製作の作品という事情もあるが、それにしても多彩な人だ。その後の商業映画でも自ら出演し、他人の監督作にも俳優として出演するなど、独特の雰囲気で俳優としての活躍も目立つ。野火でも自ら主演。
広告
「戦争は腹が減るだけです」
さて、映画本編だが、お話はかなりシンプル。
太平洋戦争時のフィリピンのレイテ島が舞台。肺病に侵され、治療を受けてくることを命ぜられた田村一等兵だが、野戦病院は多くの負傷者を抱え、食糧不足にも悩まされているために外傷のない田村の入院を拒否。仕方なく部隊に戻るも、役立たずが戻ってくんじゃねぇよ!働けなくて入院もできないなら死んで来い!ということで手投げ弾を渡されまた病院へ。もちろん、病院側の態度が変わることはなく、行き場を無くした田村は一人彷徨う。
自殺をする勇気がなければ、敵と一戦交えて死のうという元気もない。とにかく考えているのは飢えをどうやってしのぐかと言うこと。腹が減って仕方がないから国のことなど考える余裕はない。敵に撃たれるよりも先に空腹で死にそうなのだ。途中で出会う他の兵士たちも皆食いもののことばかり話している。イモの一欠けのためでも必死。食えそうなものならばなんだって欲しいという状況なのだ。出演者が一様に痩せているのがガチな雰囲気があって素晴らしい。強い日差しで日に焼け、ジャングルでの活動で泥だらけだから皆真っ黒でとにかく汚く、ほとんど地面と一体化しているようなビジュアルは強烈だ。
とにかく腹が減って仕方がないという描写を見ていて思い出したのが、パプアニューギニアに出兵した経験のある漫画家の水木しげるが戦争について聞かれると「戦争はいけません。腹が減るだけです。」と毎度言っていることだ。食べることと寝ることが何よりも好きな水木サンらしい言葉だと思っていたが、『野火』を見てこの言葉は戦争経験者による戦場の感覚を的確に言い表したものなのだと理解した。学生運動をいまだに続けてちゃってる既得権益があったり人生のゴールが見えている団塊ジジイや、アメリカの特殊部隊とキャプテン・アメリカの所属部隊を意識したような名前の団体がのたまっている政治宣伝よりもよっぽど力のある言葉だと思うね。
水木しげるの名作戦記マンガ『総員玉砕せよ!』
天国と地獄
本作の大きなポイントに戦場のグロテスクさを徹底的に描いたことが挙げられる。
とにかく痛そうで、臭そうだし、気色悪い。
兵士たちが野垂れ死ねば死体は腐って蛆がわき、ハエが飛び交う。機銃掃射を受ければ足や腕が飛び、脳みそが飛び散り、肉はえぐれる。戦場での肉体欠損を描いたものと言えば、『プライベート・ライアン』の冒頭30分のオマハ・ビーチ上陸戦が挙げられるが、野火では死体描写も徹底し、『プライベート・ライアン』以上に死に伴う人体の反応を描いている。
死屍累々としたジャングルを姿の見えない敵との攻撃を受けつつ歩いていく描写はさながら地獄を歩いているようだが、時折入る自然の描写が美しいのが強烈な対比となっており、人間の矮小さを感じさせる。人物のバックグラウンドや敵についてほとんど描かれないので抽象的なレベルの神話的な物語と考えることもできると思う。
戦争映画かくあるべし
近年まれにみる気合の入りまくった戦争映画である、野火だが、安さが感じられるのが不満と言えば不満。見るからにビデオ撮りしたようなクリアすぎる画面は通常の劇映画に慣れているとチープに見えてしまうし、派手な爆発シーンや車両はほとんど出てこないから地味である。本作の場合、地味さはマイナスではないと思うが、なんとなく予算の都合で抑制せざるを得なかった雰囲気がある。こうなってしまったのも、本作は自主製作の映画だからだ。10年ほど前から塚本監督が企画していたものの、スポンサーがなかなかつかず、年月ばかり過ぎていくことで戦争経験を語り継ぐ存在が減っていくことに焦り、世相が戦争に傾いているとも感じたことから自主製作を決めたという。監督自ら全国の劇場にあいさつに出向き、製作から配給まで自分たちでしている。そんな執念の作品だから魂のこもりかたが違う。
とってつけたような説教のようなメッセージはないし、故郷に残した家族を思ってメソメソするようなヘナチョコなシーンもなく、政治宣伝をするようなものでもない。戦場で実際に起きうることを徹底的に描く。本作がやっていることはそれだけだ。だからこそ、戦争の嫌なところが明確に見えてくる。戦場をリアルに描くだけで「反戦映画」になるのだ。
これだけ力のある作品にお金が集まらず、自主配給まですることになるという今の邦画業界はどうかしているんじゃないかと声を大にして言いたい。マジな話、数年で忘れ去られるような賞味期限の短い映画ばかり作っていては先細りするばかりだと思うよ?ソフトが売れないって言うけど、記憶に残るような映画を作っていないこと自体が問題じゃないかとも思うぜ?
とりあえず、戦争について政治の話抜きに本気で考えてみたい人はぜひ見てください!!
↓ランキングに参加しています。クリックで応援よろしく!
にほんブログ村
去年から映画祭での上映や試写は行われていたものの、劇場上映にはだいぶ待たされた。
ただ、待ったかいはあった!これは久しぶりに観た魂のこもった戦争映画!間違いなく最近の邦画の戦争映画の中では断トツ。
原作は大岡昇平の同名小説。1959年に市川崑監督によっても映画化されている。今回は塚本晋也監督による再映画化となる(リメイクではなく、同じ原作で映画化)。塚本監督と言えば、『桐島、部活やめるってよ』で神木隆之介演じる前田君が観ていた映画『鉄男』(1989)の監督。なんと、『鉄男』で塚本監督は監督、脚本、出演、撮影、美術、編集、特撮、照明、製作までこなしている。これは『鉄男』が自主製作の作品という事情もあるが、それにしても多彩な人だ。その後の商業映画でも自ら出演し、他人の監督作にも俳優として出演するなど、独特の雰囲気で俳優としての活躍も目立つ。野火でも自ら主演。
広告
「戦争は腹が減るだけです」
さて、映画本編だが、お話はかなりシンプル。
太平洋戦争時のフィリピンのレイテ島が舞台。肺病に侵され、治療を受けてくることを命ぜられた田村一等兵だが、野戦病院は多くの負傷者を抱え、食糧不足にも悩まされているために外傷のない田村の入院を拒否。仕方なく部隊に戻るも、役立たずが戻ってくんじゃねぇよ!働けなくて入院もできないなら死んで来い!ということで手投げ弾を渡されまた病院へ。もちろん、病院側の態度が変わることはなく、行き場を無くした田村は一人彷徨う。
自殺をする勇気がなければ、敵と一戦交えて死のうという元気もない。とにかく考えているのは飢えをどうやってしのぐかと言うこと。腹が減って仕方がないから国のことなど考える余裕はない。敵に撃たれるよりも先に空腹で死にそうなのだ。途中で出会う他の兵士たちも皆食いもののことばかり話している。イモの一欠けのためでも必死。食えそうなものならばなんだって欲しいという状況なのだ。出演者が一様に痩せているのがガチな雰囲気があって素晴らしい。強い日差しで日に焼け、ジャングルでの活動で泥だらけだから皆真っ黒でとにかく汚く、ほとんど地面と一体化しているようなビジュアルは強烈だ。
とにかく腹が減って仕方がないという描写を見ていて思い出したのが、パプアニューギニアに出兵した経験のある漫画家の水木しげるが戦争について聞かれると「戦争はいけません。腹が減るだけです。」と毎度言っていることだ。食べることと寝ることが何よりも好きな水木サンらしい言葉だと思っていたが、『野火』を見てこの言葉は戦争経験者による戦場の感覚を的確に言い表したものなのだと理解した。学生運動をいまだに続けてちゃってる既得権益があったり人生のゴールが見えている団塊ジジイや、アメリカの特殊部隊とキャプテン・アメリカの所属部隊を意識したような名前の団体がのたまっている政治宣伝よりもよっぽど力のある言葉だと思うね。
水木しげるの名作戦記マンガ『総員玉砕せよ!』
天国と地獄
本作の大きなポイントに戦場のグロテスクさを徹底的に描いたことが挙げられる。
とにかく痛そうで、臭そうだし、気色悪い。
兵士たちが野垂れ死ねば死体は腐って蛆がわき、ハエが飛び交う。機銃掃射を受ければ足や腕が飛び、脳みそが飛び散り、肉はえぐれる。戦場での肉体欠損を描いたものと言えば、『プライベート・ライアン』の冒頭30分のオマハ・ビーチ上陸戦が挙げられるが、野火では死体描写も徹底し、『プライベート・ライアン』以上に死に伴う人体の反応を描いている。
死屍累々としたジャングルを姿の見えない敵との攻撃を受けつつ歩いていく描写はさながら地獄を歩いているようだが、時折入る自然の描写が美しいのが強烈な対比となっており、人間の矮小さを感じさせる。人物のバックグラウンドや敵についてほとんど描かれないので抽象的なレベルの神話的な物語と考えることもできると思う。
戦争映画かくあるべし
近年まれにみる気合の入りまくった戦争映画である、野火だが、安さが感じられるのが不満と言えば不満。見るからにビデオ撮りしたようなクリアすぎる画面は通常の劇映画に慣れているとチープに見えてしまうし、派手な爆発シーンや車両はほとんど出てこないから地味である。本作の場合、地味さはマイナスではないと思うが、なんとなく予算の都合で抑制せざるを得なかった雰囲気がある。こうなってしまったのも、本作は自主製作の映画だからだ。10年ほど前から塚本監督が企画していたものの、スポンサーがなかなかつかず、年月ばかり過ぎていくことで戦争経験を語り継ぐ存在が減っていくことに焦り、世相が戦争に傾いているとも感じたことから自主製作を決めたという。監督自ら全国の劇場にあいさつに出向き、製作から配給まで自分たちでしている。そんな執念の作品だから魂のこもりかたが違う。
とってつけたような説教のようなメッセージはないし、故郷に残した家族を思ってメソメソするようなヘナチョコなシーンもなく、政治宣伝をするようなものでもない。戦場で実際に起きうることを徹底的に描く。本作がやっていることはそれだけだ。だからこそ、戦争の嫌なところが明確に見えてくる。戦場をリアルに描くだけで「反戦映画」になるのだ。
これだけ力のある作品にお金が集まらず、自主配給まですることになるという今の邦画業界はどうかしているんじゃないかと声を大にして言いたい。マジな話、数年で忘れ去られるような賞味期限の短い映画ばかり作っていては先細りするばかりだと思うよ?ソフトが売れないって言うけど、記憶に残るような映画を作っていないこと自体が問題じゃないかとも思うぜ?
とりあえず、戦争について政治の話抜きに本気で考えてみたい人はぜひ見てください!!
↓ランキングに参加しています。クリックで応援よろしく!
にほんブログ村
コメント