最近はかなり忙しかったために、更新が完全に止まっていましたが、再始動です。
映画はかなり見ていたし、その中で面白い作品もたくさんあったのですが、それらを個別に紹介するのは気が向いたらにします。
今回は面白かった作品の話を交えつつ、一観客として映画やアニメを見ながら考えている「何が面白いのか」を語ってみたいなと。もちろん、私にとっての面白さなので、当てはまらない人は多いと思いますが、そこはご愛敬。
・最近見て面白いかった映画、アニメ
面白い作品を考えるためにも、まずは最近みて面白かった作品を挙げてみます。
更新の止まっていた8月以降に見たものからです。
映画
「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない第一章」
「闇に囁く者」(カナザワ映画祭「宇宙会談大会」にて)
「ダゴン」(カナザワ映画祭「宇宙会談大会」にて)
「スパイダーマン ホームカミング」
「ベイビー・ドライバー」
「散歩する侵略者」
「ダンケルク」
「エル ELLE」
「エイリアン コヴェナント」
「新感染 ファイナル・エクスプレス」
「シングストリート 未来へのうた」(公開時に鑑賞済み、WOWOWで再見)
アニメ
「アクションヒロイン チアフルーツ」
「ボールルームへようこそ」
「プリンセス・プリンシパル」
「大正野球娘。」
「R.O.D」
「るろうに剣心 追憶編 / 星雲編」
・私の趣向と女性映画について
こうして挙げてみると何となく傾向が見えてきますね。
SF・ホラー系、アクション映画が大半を占めており、アニメに関してもその傾向は大差ありません。
スケールの大きい美しい映像、見ていて驚く動き、ヒエッ!となる暴力が見たいのですよ。青春ものも多いのですが、スポ根的なわかりやすさ、熱さがあるものが多いですね。
アニメに関しては知り合いには「お前が見ているのは女しか出てこない!」とよく言われます。
よく考えてみると私が面白く見ていた「ラブライブ!」も「ガールズ&パンツァー」も「けいおん!」も「ハイスクール・フリート」も「R.O.D」も「けものフレンズ」もメインキャラは全員女、基本男がいない世界(笑)
もうね、最近ますます明確になってきたんですが、男より女のほうが興味あるんです。
これは私が異性愛者である以上、仕方ありません。
そもそも、作劇に男を中心に据えてしまうとセックスの話や内向的な話が入りがちで主題を抽象化するのが難しくなっていくと思います。少なくとも男だけで物語を成立させるのは難しいかと。
それに、アニメでは女性キャラがバカで場をかき回すだけでドラマの中心とならない存在だったり、男性の性的妄想の塊だったりすることが多く、そういうものは見ていて腹が立ってきます。現実を知らなすぎというか、お前はこういう人が好きなのか?と問いたくなるし、無駄なキャラは出すなと言いたい。
女性映画と呼ばれるものも苦手な場合が多いです。
時代に負けずに頑張った!とか、男より強い女!とかをゴリ押ししているもの、「男性に対する女性の在り方」を描くことが目的になってしまっている作品はいかがなものかと思ってしまうのです。思想を描くために作られた映画は窮屈で退屈になりがちです。女性が立っている作品でも、「ワンダーウーマン」よりも「エル ELLE」のほうが正しく女性映画だと思ってしまう私であります。
「ワンダーウーマン」は強くて美しい女が第一次大戦期で男社会のヨーロッパに降り立って男を倒していく少し古臭い女性映画の構造だと思います。「エル ELLE」は冒頭、レイプされた中年女性(イザベル・ユペールの美人でセクシーなおばさんぶりが最高です)が冷静に後片づけをし、社長を務めているゲーム会社内の怪しい人物を探っていく話です。レイプされたからと言って一人で泣き叫ぶ人はめったにいないでしょうし(声を上げて泣くのは他人へのアピールです)、女性にだって性欲はあるし、今時は女社長も珍しくないです。男からの暴力に屈さないどころか、男を利用してしたたかに力強く生きていく女性たち(「エル ELLE」に登場する女性は皆力強い!)を描ききったポール・バーホーベン監督はやっぱり最高!バーホーベン映画の女性は皆力強くしたたかで、等身大の女性像だと私は思っているのですが、なぜかフェミ系の人から批判されることが多いんですよね。バカ映画と言われている「ショーガール」だって超面白くてパワフルな女性映画なのに!!
・設定よりもキャラよりもドラマが見たい
最近の日本のアニメや映画で顕著なのですが、設定を語ることが目的になっているものが多いです。
そのわかりやすい例が2016年の大ヒット作「シン・ゴジラ」です。
公開時に面白い作品として興奮とともに「シン・ゴジラ」を紹介しましたが、しばらくたってみるとこの映画の問題性にも気づいてきました。確かに今の日本でできる限りの技術と庵野監督の美意識が結集した面白い作品でしたが、設定を語ることに重点を置いてしまっていて、ドラマを構築することに関心がないようです。そもそも庵野監督の他の作品を見ていてもドラマを構築することへの関心がほとんどないことは明らかです。エヴァンゲリオンは最たる例で、面白い映像を追及することこそが作品作りの動機なのだと新劇場版で確信しました。
設定を作っていくことの楽しさはSF好きなので私も共感できます。
しかし、設定を作ること、それを語ることは物語を作ることとは別です。シン・ゴジラはひたすらセリフ、セリフの応酬でその内容がほとんど説明なのです。最近のシナリオ学校で自由に書かせると、積み上げた設定をひたすら説明しきることに終始してしまう傾向があるのだそうです。つまり、今の若い視聴者にとっては設定こそが主題なのです。それがこじれていくと、最近のアニメや映画で見られるモノローグの連続と副音声のごとく饒舌に解説してくれる劇中解説者が氾濫となってしまうのではと思います。
キャラ重視の作風にも違和感があります。
確かにアニメはグッズで商売するから仕方がないとは思いますが、それでもキャラクターの描写に執着して一向に作品の主題が見えてこないは困ります。キャラの絡みばかりを気にするような見方はどうなんだろう?とオッサンは思うのです。
「そういうことまで考えてるのね、こういうキャラも面白い、OK、で、どういう話なの?何がやりたいの?」
こういうことを言う人が少ないのかなと思う今日この頃です。
じゃあ、私はどういう話を求めているのか?
近年の音楽映画の傑作「シングストリート 未来へのうた」を例に説明します。
・ロック少年の心を打つ「シングストリート」
プロットを説明します。
不況下のダブリンに住む少年が、気になる女の子にPVに出てもらうためにバンドを結成し、二人で希望の地ロンドンを目指して旅立っていくまでを描く
このプロットを増強し、作品の構造を形作るものは何か?
それは、1980年代不況下のダブリンという舞台設定。
この舞台設定から導き出されたのが以下のキャラクター・世界観です。
80年代のダブリンは失業率が高く、中産階級だった主人公はお金がないからと学校を転校させられ、大学生だった兄は大学を中退して引きこもってロックを聞いているかタバコ吸って皮肉っぽい言動ばかりのニート生活、姉は美大をあきらめて建築士を目指した勉強をしている、両親はケンカばかり。転校先は不良ばかりで、キリスト教系の厳しい指導が行われている、閉塞的な世界。主人公は家庭でも学校でも肩身が狭く苦しい思いをしています。
この状況を変えるのが新しい環境で出会う音楽と人々です。
これが本作の骨格となる構造です。
そしてこの構造を基に音楽と人との出会いが主人公を成長させていく物語を構成しています。
ある日、学校の前の通りに佇むモデル志望の少女に出会う。
これがボーイ・ミーツガールの出会いのシーン。少女が気になる少年は少女に会う口実としてバンドを結成してPVを作成。80年代のヒットソングに影響を受けつつも、ロック好きの兄に諭されてオリジナルの楽曲を作っていく主人公。長男としての重圧に耐えてきた兄の本音や、不況下の厳しい現実を知りつつも、バンド活動を通して世間に立ち向かう勇気を手に入れていきます。
もちろん、現実は厳しくて、両親が仲良くなることも、学校の先生が良い人になることも、中退した兄が学業に復帰することもほとんどないでしょう、それが描写の積み重ねで分かっているからこそ、後半の主人公の脳内映像によるPV撮影シーンが悲しく見えるのです。そして、現実を見せられているからこそ、学園祭でのライブを終えて少女とともに希望を夢見て振り返らずにダブリンを出ていく姿に感動します。厳しいのは分かっている、でも何もしないで腐ってたまるか!俺もやってやる!!と見るものを勇気づけてくれるのです。これが物語の力だと思います。
物語の力、映画の力を感じたい方、ロック少年(だった)方々に強くお勧めしたい映画です。
これを見れば、私の考える映画の面白さが理解してもらえると思います。
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映画はかなり見ていたし、その中で面白い作品もたくさんあったのですが、それらを個別に紹介するのは気が向いたらにします。
今回は面白かった作品の話を交えつつ、一観客として映画やアニメを見ながら考えている「何が面白いのか」を語ってみたいなと。もちろん、私にとっての面白さなので、当てはまらない人は多いと思いますが、そこはご愛敬。
・最近見て面白いかった映画、アニメ
面白い作品を考えるためにも、まずは最近みて面白かった作品を挙げてみます。
更新の止まっていた8月以降に見たものからです。
映画
「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない第一章」
「闇に囁く者」(カナザワ映画祭「宇宙会談大会」にて)
「ダゴン」(カナザワ映画祭「宇宙会談大会」にて)
「スパイダーマン ホームカミング」
「ベイビー・ドライバー」
「散歩する侵略者」
「ダンケルク」
「エル ELLE」
「エイリアン コヴェナント」
「新感染 ファイナル・エクスプレス」
「シングストリート 未来へのうた」(公開時に鑑賞済み、WOWOWで再見)
アニメ
「アクションヒロイン チアフルーツ」
「ボールルームへようこそ」
「プリンセス・プリンシパル」
「大正野球娘。」
「R.O.D」
「るろうに剣心 追憶編 / 星雲編」
・私の趣向と女性映画について
こうして挙げてみると何となく傾向が見えてきますね。
SF・ホラー系、アクション映画が大半を占めており、アニメに関してもその傾向は大差ありません。
スケールの大きい美しい映像、見ていて驚く動き、ヒエッ!となる暴力が見たいのですよ。青春ものも多いのですが、スポ根的なわかりやすさ、熱さがあるものが多いですね。
アニメに関しては知り合いには「お前が見ているのは女しか出てこない!」とよく言われます。
よく考えてみると私が面白く見ていた「ラブライブ!」も「ガールズ&パンツァー」も「けいおん!」も「ハイスクール・フリート」も「R.O.D」も「けものフレンズ」もメインキャラは全員女、基本男がいない世界(笑)
もうね、最近ますます明確になってきたんですが、男より女のほうが興味あるんです。
これは私が異性愛者である以上、仕方ありません。
そもそも、作劇に男を中心に据えてしまうとセックスの話や内向的な話が入りがちで主題を抽象化するのが難しくなっていくと思います。少なくとも男だけで物語を成立させるのは難しいかと。
それに、アニメでは女性キャラがバカで場をかき回すだけでドラマの中心とならない存在だったり、男性の性的妄想の塊だったりすることが多く、そういうものは見ていて腹が立ってきます。現実を知らなすぎというか、お前はこういう人が好きなのか?と問いたくなるし、無駄なキャラは出すなと言いたい。
女性映画と呼ばれるものも苦手な場合が多いです。
時代に負けずに頑張った!とか、男より強い女!とかをゴリ押ししているもの、「男性に対する女性の在り方」を描くことが目的になってしまっている作品はいかがなものかと思ってしまうのです。思想を描くために作られた映画は窮屈で退屈になりがちです。女性が立っている作品でも、「ワンダーウーマン」よりも「エル ELLE」のほうが正しく女性映画だと思ってしまう私であります。
「ワンダーウーマン」は強くて美しい女が第一次大戦期で男社会のヨーロッパに降り立って男を倒していく少し古臭い女性映画の構造だと思います。「エル ELLE」は冒頭、レイプされた中年女性(イザベル・ユペールの美人でセクシーなおばさんぶりが最高です)が冷静に後片づけをし、社長を務めているゲーム会社内の怪しい人物を探っていく話です。レイプされたからと言って一人で泣き叫ぶ人はめったにいないでしょうし(声を上げて泣くのは他人へのアピールです)、女性にだって性欲はあるし、今時は女社長も珍しくないです。男からの暴力に屈さないどころか、男を利用してしたたかに力強く生きていく女性たち(「エル ELLE」に登場する女性は皆力強い!)を描ききったポール・バーホーベン監督はやっぱり最高!バーホーベン映画の女性は皆力強くしたたかで、等身大の女性像だと私は思っているのですが、なぜかフェミ系の人から批判されることが多いんですよね。バカ映画と言われている「ショーガール」だって超面白くてパワフルな女性映画なのに!!
・設定よりもキャラよりもドラマが見たい
最近の日本のアニメや映画で顕著なのですが、設定を語ることが目的になっているものが多いです。
そのわかりやすい例が2016年の大ヒット作「シン・ゴジラ」です。
公開時に面白い作品として興奮とともに「シン・ゴジラ」を紹介しましたが、しばらくたってみるとこの映画の問題性にも気づいてきました。確かに今の日本でできる限りの技術と庵野監督の美意識が結集した面白い作品でしたが、設定を語ることに重点を置いてしまっていて、ドラマを構築することに関心がないようです。そもそも庵野監督の他の作品を見ていてもドラマを構築することへの関心がほとんどないことは明らかです。エヴァンゲリオンは最たる例で、面白い映像を追及することこそが作品作りの動機なのだと新劇場版で確信しました。
設定を作っていくことの楽しさはSF好きなので私も共感できます。
しかし、設定を作ること、それを語ることは物語を作ることとは別です。シン・ゴジラはひたすらセリフ、セリフの応酬でその内容がほとんど説明なのです。最近のシナリオ学校で自由に書かせると、積み上げた設定をひたすら説明しきることに終始してしまう傾向があるのだそうです。つまり、今の若い視聴者にとっては設定こそが主題なのです。それがこじれていくと、最近のアニメや映画で見られるモノローグの連続と副音声のごとく饒舌に解説してくれる劇中解説者が氾濫となってしまうのではと思います。
キャラ重視の作風にも違和感があります。
確かにアニメはグッズで商売するから仕方がないとは思いますが、それでもキャラクターの描写に執着して一向に作品の主題が見えてこないは困ります。キャラの絡みばかりを気にするような見方はどうなんだろう?とオッサンは思うのです。
「そういうことまで考えてるのね、こういうキャラも面白い、OK、で、どういう話なの?何がやりたいの?」
こういうことを言う人が少ないのかなと思う今日この頃です。
じゃあ、私はどういう話を求めているのか?
近年の音楽映画の傑作「シングストリート 未来へのうた」を例に説明します。
・ロック少年の心を打つ「シングストリート」
プロットを説明します。
不況下のダブリンに住む少年が、気になる女の子にPVに出てもらうためにバンドを結成し、二人で希望の地ロンドンを目指して旅立っていくまでを描く
このプロットを増強し、作品の構造を形作るものは何か?
それは、1980年代不況下のダブリンという舞台設定。
この舞台設定から導き出されたのが以下のキャラクター・世界観です。
80年代のダブリンは失業率が高く、中産階級だった主人公はお金がないからと学校を転校させられ、大学生だった兄は大学を中退して引きこもってロックを聞いているかタバコ吸って皮肉っぽい言動ばかりのニート生活、姉は美大をあきらめて建築士を目指した勉強をしている、両親はケンカばかり。転校先は不良ばかりで、キリスト教系の厳しい指導が行われている、閉塞的な世界。主人公は家庭でも学校でも肩身が狭く苦しい思いをしています。
この状況を変えるのが新しい環境で出会う音楽と人々です。
これが本作の骨格となる構造です。
そしてこの構造を基に音楽と人との出会いが主人公を成長させていく物語を構成しています。
ある日、学校の前の通りに佇むモデル志望の少女に出会う。
これがボーイ・ミーツガールの出会いのシーン。少女が気になる少年は少女に会う口実としてバンドを結成してPVを作成。80年代のヒットソングに影響を受けつつも、ロック好きの兄に諭されてオリジナルの楽曲を作っていく主人公。長男としての重圧に耐えてきた兄の本音や、不況下の厳しい現実を知りつつも、バンド活動を通して世間に立ち向かう勇気を手に入れていきます。
もちろん、現実は厳しくて、両親が仲良くなることも、学校の先生が良い人になることも、中退した兄が学業に復帰することもほとんどないでしょう、それが描写の積み重ねで分かっているからこそ、後半の主人公の脳内映像によるPV撮影シーンが悲しく見えるのです。そして、現実を見せられているからこそ、学園祭でのライブを終えて少女とともに希望を夢見て振り返らずにダブリンを出ていく姿に感動します。厳しいのは分かっている、でも何もしないで腐ってたまるか!俺もやってやる!!と見るものを勇気づけてくれるのです。これが物語の力だと思います。
物語の力、映画の力を感じたい方、ロック少年(だった)方々に強くお勧めしたい映画です。
これを見れば、私の考える映画の面白さが理解してもらえると思います。
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