ギレルモ・デル・トロは大好きな監督です。
『クロノス』『デビルズ・バックボーン』『パンズ・ラビリンス』『ブレイド2』『パシフィック・リム』・・・どれも傑作
監督自身の見た目もさることながら、オタク趣味全開の作風でありつつも、美術のデザインや映像表現に高級感があるのが素晴らしい。美的センスに優れたオタクという珍しいタイプの監督です。
そのデルトロの新作がアカデミー賞作品賞を受賞、監督賞もとってしまうという、オタクの勝利ともいえそうな結果となりました。以前から彼の映画を見ていたオタクとしては喜ばしい限りです。
しかし、この映画、そんなにいいのか?
実はノれなかったんですよ・・・・
以下、文句を書きます。
研究所に囚われた半魚人と言葉が話せない清掃員のおばさんとの恋愛映画。
そのテーマ自体は好ましいものです。研究所でいじめられている大アマゾンの半魚人が一人暮らしのおばさんと愛を育むなんていい話じゃないですか。
デルトロ監督はストレートに恋愛映画としてひたすらロマンチックに撮っています。
半魚人であっても男ですからそりゃ普通にロマンチックな恋愛もしますよ。
女性が映画館の上に住んでいるというのも映画好きなオタクの夢の情景のように見えます。
映画館が家の下にあるなんていいよね。60年代の設定なので劇場の雰囲気も昔のおしゃれな感じ
60年代前半で公民権運動や反ベトナム戦争が本格化し始めたころを描き、黒人や同性愛者、半魚人への差別も横行していた時代背景も含んだ作劇。
あー、アメリカ映画らしいよね。
で、私が問題だと思ったのは今挙げた部分部分が妙に優等生的にまとまってしまっているところなのです。ロマンチックな恋愛ものが嫌いというわけではありません。おばさんと半魚人だからダメなのではありません。映画愛を描こうが、差別の時代を描こうが勝手です。でも、私の心をもっと揺さぶってくれませんか?
映画に求めるものが何かは人それぞれです。
物語でも映像でも綺麗な女優さんでも銃でも犬でもなんでもよろしい。
私に関して言えば、映画を感じる瞬間が欲しいのです。
映画を感じる瞬間というとなかなか言語化しにくいですが、一つにはその映像からただならぬ何かが匂ってきてほしいのです。映画を見ている私を侵食してくるようなただならぬ感触が欲しいのです。それは例えば『エイリアン』の湿り気を感じるような薄汚れた宇宙船であったり、『霊的ボリシェヴィキ』で語られる謎の怪談百物語からただよう降霊術のニオイ、さらには『狩人の夜』の不気味な川下りだったりします。
シェイプ・オブ・ウォーターで私が最も期待していたのは半魚人が女性と水中で泳ぎ回る川の流れるごとし遊泳の時間であり、ジメジメした研究所からの下水道を伝ってヌルヌルと泳いでいく解放感と滑り感でした。しかし、この映画は綺麗すぎるのです。ロマンチックすぎるのです。普通に人間と同じようなテンションで描かれたロマンチックな瞬間の数々が私には響いてこないのです。それ、半魚人で描く必要あったか?と。半魚人が半魚人である意味とその生態を活写してこそ正しく異なる者を描くことになるのではありませんか?それぞれが自己の持てる能力や特異性を発揮してこそ多様性を認める社会は成立します。シェイプ・オブ・ウォーターは半魚人に普通の人間と同じようなことしかさせていない点で彼の個性を潰してしまっている映画だと私には思えてなりませんでした。
私には昨年の『夜明け告げるルーのうた』のほうが異なるものを正しく描いた傑作だと思います。
半魚人と人魚という違いはありますが、その生態がどのようなものであるかをきちんと作中で描き、直球の感動をもたらしてくれる作品です。映画を感じる瞬間はシェイプ・オブ・ウォーターよりはるかに多いです。
『クロノス』『デビルズ・バックボーン』『パンズ・ラビリンス』『ブレイド2』『パシフィック・リム』・・・どれも傑作
監督自身の見た目もさることながら、オタク趣味全開の作風でありつつも、美術のデザインや映像表現に高級感があるのが素晴らしい。美的センスに優れたオタクという珍しいタイプの監督です。
そのデルトロの新作がアカデミー賞作品賞を受賞、監督賞もとってしまうという、オタクの勝利ともいえそうな結果となりました。以前から彼の映画を見ていたオタクとしては喜ばしい限りです。
しかし、この映画、そんなにいいのか?
実はノれなかったんですよ・・・・
以下、文句を書きます。
研究所に囚われた半魚人と言葉が話せない清掃員のおばさんとの恋愛映画。
そのテーマ自体は好ましいものです。研究所でいじめられている大アマゾンの半魚人が一人暮らしのおばさんと愛を育むなんていい話じゃないですか。
デルトロ監督はストレートに恋愛映画としてひたすらロマンチックに撮っています。
半魚人であっても男ですからそりゃ普通にロマンチックな恋愛もしますよ。
女性が映画館の上に住んでいるというのも映画好きなオタクの夢の情景のように見えます。
映画館が家の下にあるなんていいよね。60年代の設定なので劇場の雰囲気も昔のおしゃれな感じ
60年代前半で公民権運動や反ベトナム戦争が本格化し始めたころを描き、黒人や同性愛者、半魚人への差別も横行していた時代背景も含んだ作劇。
あー、アメリカ映画らしいよね。
で、私が問題だと思ったのは今挙げた部分部分が妙に優等生的にまとまってしまっているところなのです。ロマンチックな恋愛ものが嫌いというわけではありません。おばさんと半魚人だからダメなのではありません。映画愛を描こうが、差別の時代を描こうが勝手です。でも、私の心をもっと揺さぶってくれませんか?
映画に求めるものが何かは人それぞれです。
物語でも映像でも綺麗な女優さんでも銃でも犬でもなんでもよろしい。
私に関して言えば、映画を感じる瞬間が欲しいのです。
映画を感じる瞬間というとなかなか言語化しにくいですが、一つにはその映像からただならぬ何かが匂ってきてほしいのです。映画を見ている私を侵食してくるようなただならぬ感触が欲しいのです。それは例えば『エイリアン』の湿り気を感じるような薄汚れた宇宙船であったり、『霊的ボリシェヴィキ』で語られる謎の怪談百物語からただよう降霊術のニオイ、さらには『狩人の夜』の不気味な川下りだったりします。
シェイプ・オブ・ウォーターで私が最も期待していたのは半魚人が女性と水中で泳ぎ回る川の流れるごとし遊泳の時間であり、ジメジメした研究所からの下水道を伝ってヌルヌルと泳いでいく解放感と滑り感でした。しかし、この映画は綺麗すぎるのです。ロマンチックすぎるのです。普通に人間と同じようなテンションで描かれたロマンチックな瞬間の数々が私には響いてこないのです。それ、半魚人で描く必要あったか?と。半魚人が半魚人である意味とその生態を活写してこそ正しく異なる者を描くことになるのではありませんか?それぞれが自己の持てる能力や特異性を発揮してこそ多様性を認める社会は成立します。シェイプ・オブ・ウォーターは半魚人に普通の人間と同じようなことしかさせていない点で彼の個性を潰してしまっている映画だと私には思えてなりませんでした。
私には昨年の『夜明け告げるルーのうた』のほうが異なるものを正しく描いた傑作だと思います。
半魚人と人魚という違いはありますが、その生態がどのようなものであるかをきちんと作中で描き、直球の感動をもたらしてくれる作品です。映画を感じる瞬間はシェイプ・オブ・ウォーターよりはるかに多いです。
コメント