映画と興行は切っても切り離せないものです。
映画の産業としての起源も珍しいものを見せる見世物であることもある程度映画史に詳しい方ならばご存知の通りです。
映画は見世物であり、お客の財布の中身を狙った娯楽であることは映画産業の基本原理です。
そのためにはありとあらゆる手段でもってウケを取り、銭公を搾り取るのです。
これは芸術映画であろうと変わりません。対象としている観客が異なるだけです。
今回紹介する映画はそんな銭公を搾り取ってきたエンタメ業界のレジェンドにまつわるものです。
『グレイテスト・ショーマン』はサーカス団を初めて作ったP.T.バーナムを題材としてミュージカル映画です。かなり脚色が入っていて事実とは異なる部分も多いでしょうが、映画とサーカスとがかなり近しい興行であることを教えてくれる作品です。
会社をリストラされて新規事業を企画したバーナムが始めたのがびっくり人間を集めた見世物小屋。
徹底したショーアップでアクロバットあり、踊りありの大エンタメを始めます。広告やスカウトで集めたフリークスたちを実に興行師的な盛り宣伝でもってショーの看板にしていきます。100キロ超の巨漢ならばセイウチ2頭より重いことにし、背が高いことが自慢ならば竹馬を履かせて3メートルの巨人に、毛深い男は獣との混血ということにするなど嘘と拡大解釈が満載の売り方です。一時期の東宝東和と同じノリを感じます。
こうした誇大広告作戦とショーの派手さでもってお客さんを魅了したバーナムを批評家たちは「芸術とは程遠い嘘だらけで低俗なもの」と評します。そこでバーナムが返す言葉がいいです。
「でも、お客は楽しんでいるぜ」
今日言いたいことはこの一言に集約されているといってもいいです。
映画の観客は嘘を承知で見ているんです。映画はスクリーンに投影されたフィルムなりデジタルデータなりの映像でしかなく、スクリーンに映っている巨大な人間も怪獣もその場にはいないのは誰もが理解しています。人々は嘘を求めて劇場に集まり、嘘に金を払い、嘘で笑って嘘で泣くのです。それを嘘だまがい物だというのは阿呆です。嘘を楽しんで何が悪いというのか?お客に楽しませることが罪だというのか?見たいものを見せて感動を搾取して悪いか?
映画というものはお客の欲望を忠実に反映する産業です。
人が死にまくって血が出まくるのも、戦車が出てくるのも、姐ちゃんの裸が出てくるのも、感動的な親子の物語があるのも観客が求めているからこそです。『グレイテスト・ショーマン』では冒頭の「Greatest Show」で「あなたが求めているものはすべてここにある。なんでも叶うんだ。」と歌っていることからもこのことに意識的です。どう考えても当時の音楽には聞こえないポップスを楽曲とするのも、分かりやすくCGを用いた背景を使うのも、フリークスを登場させつつも結局は美男美女にスポットが当たってしまうのも映画は嘘であり、お客の要求に応えるものだからです。そのことを踏まえたうえで、クライマックスではフリークスたちの意地も描く根性も見せてくれます。
『グレイテスト・ショーマン』は筆者が久しぶりに見たアメリカ映画らしさ満点の作品です。
様々な人々がいる多様な社会を描く少しの根性を絢爛豪華なビジュアルという甘い嘘でハードコーティングすること、これこそがアメリカ映画の手法であり、ひいては娯楽映画が達成すべきものです。
『グレイテスト・ショーマン』はこの嘘の部分が非常に楽しいです。ミュージカル映画としての魅力があふれており、5分程度の歌に合わせて主人公の子供時代から青年になって家族をもつまでを一気に描き、酒場で賃金交渉を始めたと思えば店のマスターも巻き込んでの踊りと歌に発展する。リズムに合わせて馬も行進し、釘打ちの音がビートになる。世界が歌って踊りだす感覚こそがミュージカル映画の快楽であるならば、『グレイテスト・ショーマン』はどこまでもミュージカル映画らしいものです。嘘に没頭して楽しく過ごしたい皆さんに強くお勧めしたい傑作です。劇場で不特定多数の方と共有する楽しさをぜひ味わってください。映画内の観客とのシンクロ感もあって良いですよ。
ちなみに、近年ヒットした『ラ・ラ・ランド』や『レ・ミゼラブル』はミュージカル映画とは言えません。ラ・ラ・ランドは世界が躍る感覚があったのは冒頭しかなく、ミュージカルを装っただけの恋愛映画でしたし、レ・ミゼラブルはそもそも歌っているだけで踊りが全くない時点でダメです。
制作前に行われた歌含みの通し芝居では皮膚がんの術後で歌うことが禁じられていたヒュー・ジャックマンの見事な歌いっぷりがさく裂!(ってオイ!)この曲が流れる場面の高揚感はなかなか良いですぞ~
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映画の産業としての起源も珍しいものを見せる見世物であることもある程度映画史に詳しい方ならばご存知の通りです。
映画は見世物であり、お客の財布の中身を狙った娯楽であることは映画産業の基本原理です。
そのためにはありとあらゆる手段でもってウケを取り、銭公を搾り取るのです。
これは芸術映画であろうと変わりません。対象としている観客が異なるだけです。
今回紹介する映画はそんな銭公を搾り取ってきたエンタメ業界のレジェンドにまつわるものです。
『グレイテスト・ショーマン』はサーカス団を初めて作ったP.T.バーナムを題材としてミュージカル映画です。かなり脚色が入っていて事実とは異なる部分も多いでしょうが、映画とサーカスとがかなり近しい興行であることを教えてくれる作品です。
会社をリストラされて新規事業を企画したバーナムが始めたのがびっくり人間を集めた見世物小屋。
徹底したショーアップでアクロバットあり、踊りありの大エンタメを始めます。広告やスカウトで集めたフリークスたちを実に興行師的な盛り宣伝でもってショーの看板にしていきます。100キロ超の巨漢ならばセイウチ2頭より重いことにし、背が高いことが自慢ならば竹馬を履かせて3メートルの巨人に、毛深い男は獣との混血ということにするなど嘘と拡大解釈が満載の売り方です。一時期の東宝東和と同じノリを感じます。
こうした誇大広告作戦とショーの派手さでもってお客さんを魅了したバーナムを批評家たちは「芸術とは程遠い嘘だらけで低俗なもの」と評します。そこでバーナムが返す言葉がいいです。
「でも、お客は楽しんでいるぜ」
今日言いたいことはこの一言に集約されているといってもいいです。
映画の観客は嘘を承知で見ているんです。映画はスクリーンに投影されたフィルムなりデジタルデータなりの映像でしかなく、スクリーンに映っている巨大な人間も怪獣もその場にはいないのは誰もが理解しています。人々は嘘を求めて劇場に集まり、嘘に金を払い、嘘で笑って嘘で泣くのです。それを嘘だまがい物だというのは阿呆です。嘘を楽しんで何が悪いというのか?お客に楽しませることが罪だというのか?見たいものを見せて感動を搾取して悪いか?
映画というものはお客の欲望を忠実に反映する産業です。
人が死にまくって血が出まくるのも、戦車が出てくるのも、姐ちゃんの裸が出てくるのも、感動的な親子の物語があるのも観客が求めているからこそです。『グレイテスト・ショーマン』では冒頭の「Greatest Show」で「あなたが求めているものはすべてここにある。なんでも叶うんだ。」と歌っていることからもこのことに意識的です。どう考えても当時の音楽には聞こえないポップスを楽曲とするのも、分かりやすくCGを用いた背景を使うのも、フリークスを登場させつつも結局は美男美女にスポットが当たってしまうのも映画は嘘であり、お客の要求に応えるものだからです。そのことを踏まえたうえで、クライマックスではフリークスたちの意地も描く根性も見せてくれます。
『グレイテスト・ショーマン』は筆者が久しぶりに見たアメリカ映画らしさ満点の作品です。
様々な人々がいる多様な社会を描く少しの根性を絢爛豪華なビジュアルという甘い嘘でハードコーティングすること、これこそがアメリカ映画の手法であり、ひいては娯楽映画が達成すべきものです。
『グレイテスト・ショーマン』はこの嘘の部分が非常に楽しいです。ミュージカル映画としての魅力があふれており、5分程度の歌に合わせて主人公の子供時代から青年になって家族をもつまでを一気に描き、酒場で賃金交渉を始めたと思えば店のマスターも巻き込んでの踊りと歌に発展する。リズムに合わせて馬も行進し、釘打ちの音がビートになる。世界が歌って踊りだす感覚こそがミュージカル映画の快楽であるならば、『グレイテスト・ショーマン』はどこまでもミュージカル映画らしいものです。嘘に没頭して楽しく過ごしたい皆さんに強くお勧めしたい傑作です。劇場で不特定多数の方と共有する楽しさをぜひ味わってください。映画内の観客とのシンクロ感もあって良いですよ。
ちなみに、近年ヒットした『ラ・ラ・ランド』や『レ・ミゼラブル』はミュージカル映画とは言えません。ラ・ラ・ランドは世界が躍る感覚があったのは冒頭しかなく、ミュージカルを装っただけの恋愛映画でしたし、レ・ミゼラブルはそもそも歌っているだけで踊りが全くない時点でダメです。
制作前に行われた歌含みの通し芝居では皮膚がんの術後で歌うことが禁じられていたヒュー・ジャックマンの見事な歌いっぷりがさく裂!(ってオイ!)この曲が流れる場面の高揚感はなかなか良いですぞ~
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