宣伝でゴリ押しされている「エブエブ」の略称でどうしても呼びたくない庵野ハルカでございます。
今回ご紹介するのは話題のSF風味カンフー映画です。
今回ご紹介するのは話題のSF風味カンフー映画です。
娘は反抗的、夫は頼りなく、中国から呼び寄せた父親は口煩く、経営しているコインランドリーは諸々の支払いにも困る有様。今日も税務署で面談しなければならないお母ちゃん主人公ですが、マルチバースの別宇宙の夫に出会ったことから世界を揺るがす自体に巻き込まれていきます。
マルチバースについて今更説明する必要はないと思いますが、要するに人には様々な可能性があり得てそれぞれの可能性によって生まれる宇宙が同時に存在しうるといった考え方です。本作の主人公の場合はコインランドリーを経営する冴えない人生を送る宇宙があれば、カンフーマスターとして映画スターになる可能性や、料理の鉄人になっている可能性もありえたわけで、それら別宇宙の自分とシンクロすることで様々な能力を得ていくアクションが見どころの一つとなるわけです。アクション的な見どころが足されていくだけでなく、別の可能性を見ることで自分の人生を見つめ直していくドラマの面でも意味をなしている設定ですね。
「マルチバース+カンフー」を強調する宣伝で危惧していたのは、主人公の様々な可能性を肯定するばかりの自家中毒的な作品になることでした。人にはいろんな可能性があって人生はいくらでも開けている、変えられると言うのは簡単なことですが、実際問題として過去の出来事は変えられませんし、変えようがない未来もあるのです。極端な人生肯定は時として無責任な発言になりかねません。しかし、本作の場合は主人公の物語である以上に母娘の物語として構成したことでこの問題を回避できていたように思います。
世界の危機を起こしている存在が主人公の娘であり、彼女もまたマルチバースを行き来する存在です。これからの人生でいくらでも開けた可能性がある若者である娘があらゆる時間・次元を行き来することで虚無に至ってしまうのは、人生折り返し地点を過ぎてしまった母親がマルチバースに希望を見出すのと対象的に見えます。抑圧的な父親と過ごした中国から夫とともにアメリカに移住した主人公に対し、娘はアメリカ生まれでレズビアンというセクシャリティや社会的立場の対立構造もあります。
では、対立している母親と娘をどうやって和解させるか(もしくは決裂させるか)が物語的な課題となりますが、クライマックスはそれまでのマルチバースの狂騒から一転して静かにシンプルなメッセージで締めてくれます。そのメッセージはとてもベタでそんなことかよーと思ってしまうかもしれません。ただ、親だからこそ言える独善的な言葉もあるのであり、今まで育ててきた娘に言えなかったことを正面から伝えるシーンは感動的です。
見どころがあってラストは感動する映画にはなっているのですが、気になる点もあります。マルチバースの別宇宙から力を得るためには「でたらめなこと」をやってきっかけを生むという設定なのですが、この要素が本作をコメディ的にポップにするための余計なものに思えてならなかったのです。リップクリームを食べてみたり、炭酸水を一気飲みしたり、肛門に異物挿入したりアホ臭さ十分ではあるのですが、そのアホ臭さがどうにも取って付けたようなもので、笑えるようで笑えません。肛門から異物を引き抜くシーンはあっても、逆噴射するようなシーンは無いのだし、そもそもコメディ風にするなら最後まで徹底するべきでしょう。ラストの感動を描く前提に対してそれまでの繋ぎとして用意された感が否めないのです。
岡本太郎の作品をモチーフにした特撮ドラマ『TAROMAN』のオープニングで「でたらめをやってごらん」と歌詞にあるのですが、「うまくあるな、きれいであるな、心地よくあるな」とも歌われている点が重要で、器用にそれっぽく纏めることを狙って作られたものは人の心を打つのは難しいと思います。特にコメディに関しては「真剣に命がけで遊べ!」と言いたいものです。監督コンビのダニエルズの前作『スイス・アーミー・マン』にも言えましたが、真剣に笑いを描こうという意識が感じられず、どこか笑いに対して賢く距離を取ろうという感覚があるのが残念でした。
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