ハロウィンの夜に現れた謎のピエロが見かけた人に付きまとい、ひたすら殺していく映画をレビュー。
ピエロのルックのインパクトと絶妙な茶目っ気のあるキャラクターが人気となり、ゴア描写のエクストリームさでも話題となった『テリファー』(2016)の続編です。「全米が吐いた」との謳い文句はいかに?
前作の1年後のハロウィン。父親を亡くした姉弟の前に殺人ピエロが現れ、惨劇が繰り返される!
内容をまとめてしまうと、上の1行で収まるぐらいのシンプルなものなので、特に言うことはありません。映画としては、1970・80年代に大量に作られたスラッシャー映画の文法に忠実に沿ったもので、スラッシャーの登場から連続殺人が始まり、最後はファイナルガール(最後にスラッシャーと対峙するヒロイン)が対決して終わる、というもの。
通常のスラッシャー映画ならば、慣れている人ほど先が読めてそこまでの驚きはないものですが、容赦なくこの人も死ぬか!というサプライズの連続で構成された前作があるだけに、続編でも気が抜けません。実際、この人死ぬだろうなーと思ってはいても、そのタイミングだったり、殺されっぷりについては予想外の瞬間が多かったです。
例を挙げると、前作で最大の話題となったジョギジョギギコギコのシーンですが、あのキャラクターが殺されることはホラー慣れしている人には明確なのです。しかし、リアル人体三枚おろしを見せられるなんてなかなか想像できるものではありません。人体があそこまでの暴力性と無邪気さをもって損壊される瞬間に出くわすことはまずありませんからね。
前作はAmazon Prime Videoで見放題です
映画における人体破壊の描写は多くの人が一度は想像する「中はどうなっているんだろう?」という好奇心を刺激するものですが、その好奇心を最大限膨らませたセンス・オブ・ワンダーの世界がゴア描写の魅力です。そこには人体への尊敬を一切なく、徹底的に破壊し尽くす殺人者の存在が欠かせません。ショックに慣れた現代の観客にサプライズを与えるにはそこまでやらんでも・・・と思うぐらいの力が必要なのです。その一点において本作の殺人ピエロは素晴らしくアイコニックな存在です。
殺人者のバックグラウンドの説明やその正体を明かす瞬間があるスラッシャー映画も多いものですが、本作のピエロはどこから表れたのかも分からなければ、目的も動機も理解不能で、何をしても死なない肉体の理由も一切説明がありません。ピエロにはセリフがありませんが、パントマイムで対話は可能です。会話もできれば、知性もある人間のように見えるピエロが一瞬のためらいもなく人体を破壊し、最大限苦痛を与える方法で攻撃してくるのですから悪趣味で恐ろしい。
もしかしたら、こういうことはあるのでは?と思わせる生々しさに茶目っ気全開で想像の斜め上を行くワンダーが足されるショックは確実に人を選びますが、エクストリームな快楽もあります。本作の場合はデスメタルのバンド「カンニバル・コープス」のアルバムジャケット(とてもゴアくて音楽もブルータルで最高なので気になる人は検索してみてね!)かよ!と突っ込みたくなるような強烈な人体破壊シーンがあり、恐らくここが「全米が吐いた」ところでしょう。最強に悪趣味でワンダーが光っておりました。こういうシーンを映画館(しかも近所のシネコン)で他の観客と一緒に体験するのは最高の映画体験ですので、是非映画館で見ていただきたい。
ビジュアル面の話で言えば、前作よりも予算が上がったことでプロダクションデザインが充実していることも特筆すべき点です。終盤の遊園地のシーンの造形物やホラー系のショップ店内に置いてあるもの、前半の夢の世界のセットデザインなどデザイン面でも秀逸です。
前作との比較で言えば、より70、80年代的なテイストが強まっている印象で、夢のシーンは『エルム街の悪夢』(1984)風に見えるし、後半のあるシーンでは『マニアック』(1982)のオマージュなのかな?と思うカットも存在しました。
前作はよく分からないままに殺されていく恐怖が描かれており、唐突な感覚はありましたが、本作ではピエロの存在が世間に知られている状態から始まり、ヒロインの存在もわかりやすく設定されていて、その点でもスラッシャー映画の伝統に沿っていますね。ヒロインを演じたローラン・ラベラは長編映画は初主演だそうですが、ホラー映画のヒロインとして光るものがあるので、恐らく今後他の作品でも目にする機会が増えると思います。
ウルトラゴアな応酬で楽しませてくれる本作ですが、徹底的に盛るスタイルは映画の尺を2時間越えすることにもなっています。
ストーリー上不要なゴアがあっても問題ないし、寧ろそれがハイライトだったりもするのですが、全体的に尺を長く取った編集にしているせいで冗長になっている印象があります。終盤のファイナルガールとの対決も夢のシーンも勿体付けすぎてどうにもダレてしまう。これは予想に過ぎませんが、監督が編集したバージョンからほとんどカットされていないのではないでしょうか?
スラッシャー映画の多くはカットされたり、興行上の理由で90分ぐらいで制作されますが、やっぱりそのぐらいの制限があった方が映画はタイトになると実感しました。更なる続編も予定されているとのことですので、次はもっと編集段階で研ぎ澄ませて欲しいと思います。70年代ぐらいのダラダラした映画も嫌いじゃないけどね!
ピエロのルックのインパクトと絶妙な茶目っ気のあるキャラクターが人気となり、ゴア描写のエクストリームさでも話題となった『テリファー』(2016)の続編です。「全米が吐いた」との謳い文句はいかに?
前作の1年後のハロウィン。父親を亡くした姉弟の前に殺人ピエロが現れ、惨劇が繰り返される!
内容をまとめてしまうと、上の1行で収まるぐらいのシンプルなものなので、特に言うことはありません。映画としては、1970・80年代に大量に作られたスラッシャー映画の文法に忠実に沿ったもので、スラッシャーの登場から連続殺人が始まり、最後はファイナルガール(最後にスラッシャーと対峙するヒロイン)が対決して終わる、というもの。
通常のスラッシャー映画ならば、慣れている人ほど先が読めてそこまでの驚きはないものですが、容赦なくこの人も死ぬか!というサプライズの連続で構成された前作があるだけに、続編でも気が抜けません。実際、この人死ぬだろうなーと思ってはいても、そのタイミングだったり、殺されっぷりについては予想外の瞬間が多かったです。
例を挙げると、前作で最大の話題となったジョギジョギギコギコのシーンですが、あのキャラクターが殺されることはホラー慣れしている人には明確なのです。しかし、リアル人体三枚おろしを見せられるなんてなかなか想像できるものではありません。人体があそこまでの暴力性と無邪気さをもって損壊される瞬間に出くわすことはまずありませんからね。
前作はAmazon Prime Videoで見放題です
映画における人体破壊の描写は多くの人が一度は想像する「中はどうなっているんだろう?」という好奇心を刺激するものですが、その好奇心を最大限膨らませたセンス・オブ・ワンダーの世界がゴア描写の魅力です。そこには人体への尊敬を一切なく、徹底的に破壊し尽くす殺人者の存在が欠かせません。ショックに慣れた現代の観客にサプライズを与えるにはそこまでやらんでも・・・と思うぐらいの力が必要なのです。その一点において本作の殺人ピエロは素晴らしくアイコニックな存在です。
殺人者のバックグラウンドの説明やその正体を明かす瞬間があるスラッシャー映画も多いものですが、本作のピエロはどこから表れたのかも分からなければ、目的も動機も理解不能で、何をしても死なない肉体の理由も一切説明がありません。ピエロにはセリフがありませんが、パントマイムで対話は可能です。会話もできれば、知性もある人間のように見えるピエロが一瞬のためらいもなく人体を破壊し、最大限苦痛を与える方法で攻撃してくるのですから悪趣味で恐ろしい。
もしかしたら、こういうことはあるのでは?と思わせる生々しさに茶目っ気全開で想像の斜め上を行くワンダーが足されるショックは確実に人を選びますが、エクストリームな快楽もあります。本作の場合はデスメタルのバンド「カンニバル・コープス」のアルバムジャケット(とてもゴアくて音楽もブルータルで最高なので気になる人は検索してみてね!)かよ!と突っ込みたくなるような強烈な人体破壊シーンがあり、恐らくここが「全米が吐いた」ところでしょう。最強に悪趣味でワンダーが光っておりました。こういうシーンを映画館(しかも近所のシネコン)で他の観客と一緒に体験するのは最高の映画体験ですので、是非映画館で見ていただきたい。
ビジュアル面の話で言えば、前作よりも予算が上がったことでプロダクションデザインが充実していることも特筆すべき点です。終盤の遊園地のシーンの造形物やホラー系のショップ店内に置いてあるもの、前半の夢の世界のセットデザインなどデザイン面でも秀逸です。
前作との比較で言えば、より70、80年代的なテイストが強まっている印象で、夢のシーンは『エルム街の悪夢』(1984)風に見えるし、後半のあるシーンでは『マニアック』(1982)のオマージュなのかな?と思うカットも存在しました。
前作はよく分からないままに殺されていく恐怖が描かれており、唐突な感覚はありましたが、本作ではピエロの存在が世間に知られている状態から始まり、ヒロインの存在もわかりやすく設定されていて、その点でもスラッシャー映画の伝統に沿っていますね。ヒロインを演じたローラン・ラベラは長編映画は初主演だそうですが、ホラー映画のヒロインとして光るものがあるので、恐らく今後他の作品でも目にする機会が増えると思います。
ウルトラゴアな応酬で楽しませてくれる本作ですが、徹底的に盛るスタイルは映画の尺を2時間越えすることにもなっています。
ストーリー上不要なゴアがあっても問題ないし、寧ろそれがハイライトだったりもするのですが、全体的に尺を長く取った編集にしているせいで冗長になっている印象があります。終盤のファイナルガールとの対決も夢のシーンも勿体付けすぎてどうにもダレてしまう。これは予想に過ぎませんが、監督が編集したバージョンからほとんどカットされていないのではないでしょうか?
スラッシャー映画の多くはカットされたり、興行上の理由で90分ぐらいで制作されますが、やっぱりそのぐらいの制限があった方が映画はタイトになると実感しました。更なる続編も予定されているとのことですので、次はもっと編集段階で研ぎ澄ませて欲しいと思います。70年代ぐらいのダラダラした映画も嫌いじゃないけどね!
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